尾張中村に百姓の息子として生まれた秀吉が辿った人生は数奇なものだった。その時代、後に彼が天下を取ることなど誰ひとりとして思わなかったことだろう。乱世の世を怒涛の如く駆け抜けた男は天下統一のその先に何を見ていたのか。
秀吉が残した辞世の句に「夢のまた夢」とあるが、実に感慨深いものである。信長の奉公人として仕え、天下統一までの道のりは図り知れないものである。
54歳にして全国を統一し、大政大臣から関白へ、そして太閣まで上り詰めた秀吉のルーツを史跡と共に辿ってみたい。
「滋賀、京都、大阪」の旅を1日で終わらせるには少し無理がある。そこで私からの提案なのだが、史跡や名所に備考(メモ)を添えさせていただくので、それを参考に自分なりのマップを作ってスケジュールすると、観光しやすくなるかもしれない。
後編の最後にサンプルをご用意してあるので、そちらも合わせて参考にしていただければ幸いである。
秀吉と言えば、大阪、京都をイメージしがちであるが近江にとっても、ゆかりの深い人物である。「今浜」を「長浜」と改めた張本人でもある。長浜の生みの親と言っても過言ではないだろう。
信長に仕え京都上洛の障害であった近江(滋賀)の地を領地にするまでの秀吉の活躍は一際目立つものがある。金ヶ崎の退き口ではその頭角を現し出世の糸口を掴むなど、正に命を懸けた日々の連続であったことは間違いない。
金ヶ崎から小谷城の攻略、そして長浜城主となった秀吉の足跡を辿って歴史とルーツを感じてみたいと思う。
[始点]
■長浜駅(住所:滋賀県長浜市北船町1-5)
↓秀吉と三成の出逢い像・長浜駅前通り
■長浜城家臣団屋敷跡(住所:滋賀県長浜市南呉服町6-37)
↓屋敷跡を記す石碑・長浜地名起源歌碑
■豊国神社(住所:滋賀県長浜市南呉服町6-37)
↓御神馬の像・秀吉の肖像画・本殿・出世稲荷神社・秀吉遺愛の虎石・天満宮(加藤清正の像)
■長浜城(住所:滋賀県長浜市公園町10-10)
↓長浜城歴史博物館・長浜城御馬屋跡
■知善院(住所:滋賀県長浜市元浜町29-10)
↓長浜城構築の際、鬼門を守らせた寺院である。秀吉にゆかりのある品が拝見できる。
■長浜城下町
↓・北国街道(住所:滋賀県長浜市元浜町)
・秀吉ゆかりの茶亭門(住所:滋賀県長浜市元浜町11-23黒壁付近)
・大通寺(住所:滋賀県長浜市元浜町32-9)お問合せ先:0749-62-0054(案内係まで)
・大手門通り商店街(住所:滋賀県長浜市元浜町、大宮町)
[終着]計6ヶ所の史跡
長浜といえば「長浜ラーメン」。しかし、麺は麺でもここ長浜にはもうひとつ、麺を使った名物料理が存在する。その名も「焼鯖そうめん」である。
一見聞きなれないネーミングだが、焼鯖そうめんは長浜の郷土料理として地元の人には古くから親しまれている。
鯖の身は豚の角煮のように柔らかく、ジューシーな旨みがたまらない。それに合わせて香ばしくパリッと焼いた表面の皮が絶妙にマッチングする。そうめんに絡めるスープも甘い煮汁がたっぷり抽出されていて上品な味わいが口全体を包み込んでくれる。
長浜を訪れた際は、一度ご賞味願いたいものだ。隠れた郷土料理「焼鯖そうめん」、私は是非これを推薦したいと思う。
京都には豊臣家にゆかりの深い史跡や名所が多数存在している。その中でも秀吉に視点を定めて京都の地を巡ってみたいと思う。
色々な寺や史跡が点在し、歴史が今でも日常に溢れている京都。時間が許すことなら気になる場所や、もう一度観たいスポットを訪ねてみるのも素晴らしい。身近に歴史が溢れている京都だからこそ実現できる旅である。
それでは京の町へ繰り出し、秀吉の足跡を追って名所を観光してみたいと思う。
[始点]
■聚楽第跡(住所:京都市上京区中立売通浄福寺東)
↓1587年に建てられた御殿(城)で、大坂城より住まいを移した場所である。
■北野天満宮(住所:京都市上京区馬喰町)
↓北野大茶湯之址碑・太閤井戸・御土居・御土居の堀に架かる鶯橋
■浄土院(住所:京都市上京区南上善寺町179)
↓秀吉が茶を頼んだところ、白湯しか出てこなかったので「湯たくさん茶くれん寺」と命名した寺である。
■仙洞御所(住所:京都市上京区京都御苑内)
↓秀吉の最晩年に京都御所内に城が建てられた。その場所が仙洞御所の敷地である。秀吉が息子の秀頼の将来を心配して建てたとされる城で、あまり知られてはいない。
■報恩寺(住所:京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579)
↓聚楽第に持ち帰った絵の中の虎が、夜中に激しく鳴いたため眠れなかったという言い伝えがある「鳴虎図」が保管されている寺。
■大徳寺(住所:京都市北区紫野大徳寺町53)
↓勅使門・三門・法堂
■出世稲荷神社(住所:京都市左京区大原来迎院町148)
↓秀吉公の出世にあやかって出世開運を願う人にご利益のある神社。
■満足稲荷神社(住所:京都市左京区東大路仁王門下る東門前町527-1)
↓社名の満足の二字は秀吉が祭神の加護に「満足」したことから命名された。
■伏見城(住所:京都市伏見区桃山町大蔵45)
↓全国統一を成し遂げ太閣となった秀吉が築城した城である。
■醍醐寺(住所:京都市伏見区醍醐東大路町22)
↓1598年、秀吉がこの世を去る5ヶ月前に「醍醐の花見」が開かれた場所である。
■方広寺(住所:京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527-2)
↓冬の陣のきっかけとなった「国家安康」「君臣豊楽」の釣鐘がある。
■豊国神社(住所:京都市東山区大和大路正面茶屋町530)
↓秀吉を祀る神社で、参道にある唐門は伏見城の城門の一つで建造されており、国宝に指定されている。宝物館には秀吉にゆかりの深い遺品が保管されている。
■天得院(住所:京都市東山区本町15-802)
↓秀頼の依頼により方広寺の鐘に「国家安康」「君臣豊楽」の文字を作成した「文英清韓(住職)」の寺である。家康によって取り壊されたが1789年に再建されている。
■高台寺(住所:京都市東山区下河原町526)
↓秀吉の正室である北政所ねねが、1606年に秀吉の魂を弔う為に建てた寺である。観月台や茶室、枯山水の庭などは「日本のわびさび」を感じさせてくれる。
■圓徳院(住所:京都市東山区高台寺下河原町530)
↓秀吉の正室である北政所ねねが1624年までの余生を過ごした場所である。
■二条城(住所:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541)
↓秀頼と家康が対面した場所である。世界遺産に指定されている。
[終着]計16ヶ所の史跡
京都は歴史の深い町であるが故、多くのミステリーに遭遇することが出来る。秀吉が聚楽第に持ち帰った「報恩寺の鳴虎」もそうであるが、言葉の語源やことわざの発祥など、興味深いものがいくつも存在する。
そのようなミステリーが存在する名所をいくつかご紹介させていただきたいと思う。もし時間があれば、立ち寄ってみるのも良い旅の想い出となるかもしれない。
【西本願寺の七不思議】住所:京都市下京区堀川通花屋町下ル
逆さに植えられたと言われている「逆さ銀杏」や、68羽描かれていた雀が2羽が抜け出して66羽になった「抜け雀」、雨が降る前の晩になると梟(ふくろう)の声で鳴きだすといわれる「梟の灯籠」などが有名である。その他にもあと4つの不思議が隠されている寺である。
【産寧坂】住所:京都市東山区清水1(清水寺の麓)
秀吉の正室(ねね)が子供の誕生を念じて坂を上がり清水寺にお参りしていたことからその名が付いたとされている。別名「三年坂」。大同3年に作られたことから三年坂というがこの坂で転ぶと寿命が縮まるという言い伝えも。また、清水寺で参拝した人がこの坂で再び念願を深くすることから「再念坂」とも呼ばれている。
【晴明神社】住所:京都市上京区堀川通一条上ル806
映画「陰陽師」で一躍有名になった神社であるが、この神社の祀り神である「安倍晴明」は実は狐と人間のハーフだという伝説がある。晴明の父である安倍保名が信太明神へ参拝した帰り、1匹の雌狐を逃がしてやるとその帰り道に女性が現れる。保名は、やがてこの女性と結婚することになり晴明を授かることとなる。
その昔、信太明神付近にあった信太の森は狐が生息する場所であったため、京都や大阪の老舗のうどん屋さんに行くと「信太(しのだ)ください」と言えば、「きつねうどん」が出てくる。一度試してみてはいかがだろうか。