【謙信マップ】「吾こそは上杉謙信なり!」(前偏)


【謙信マップ】「吾こそは上杉謙信なり!」(前偏)

山形〜新潟、長野を巡って。

山形〜新潟、長野を巡って。 上杉謙信は越後(新潟)の春日山城で「虎千代」として生まれ一国の主として越後を統一し、川中島にて武田信玄と激戦を繰り広げるわけだが、謙信の死後、ゆかりの深い場所として山形県の米沢も外せない名所のひとつである。
後の米沢藩主になる上杉景勝(謙信の後継者)が徳川家康より米沢への転封を命じられるのである。転封とは、領地を他の地へ移すことであるが、これによって寺や遺品、謙信の遺骨などが移されたことから縁の深い場所となっている。

まずはじめに

「山形、新潟、長野」の全てを1日で終わらせるには少し無理がある。そこで私からの提案なのだが、史跡や名所に備考(メモ)を添えさせていただくので、それを参考に自分なりのマップを作ってスケジュールすると、観光しやすくなるかもしれない。
後編の最後にサンプルをご用意してあるので、そちらも合わせて参考にしていただければ幸いである。

上杉謙信を追って米沢へ[山形県]

上杉謙信を追って米沢へ[山形県] 上杉謙信は、1578年3月13日、越後春日山城にて49歳でこの世を去る。上杉景勝が会津(福島)から米沢へと住まいを移動するのであるが、それに伴って謙信の遺骨も移されるのである。最終的に遺骨が葬られたのが1876年(明治9年)5月21日、「上杉家御廟所」であるが、始めに会津から移葬されていたのは1601〜1871年(明治4年)まで米沢城跡にある「上杉神社」であった。

[始点]
山形[始点]
■上杉神社(米沢城跡)(住所:山形県米沢市丸の内1-4-13 )
上杉神社(米沢城跡)(住所:山形県米沢市丸の内1-4-13-)
↓1601年、謙信の遺骨が上杉景勝によって米沢城へ移葬されるが、1871年に上杉神社と成り祀られる。
■上杉家御廟所(住所:山形県米沢市御廟1-5-30)
上杉家御廟所(住所:山形県米沢市御廟1-5-30)
↓1876年に謙信の遺骨が移葬される。また、米沢藩主歴代の祠堂が保管されている場所でもあり、国の指定史跡に登録されている。
■伝国の杜 上杉博物館(住所:山形県米沢市丸の内1-2-1)
↓上杉家の歴史を知ることができる。また、織田信長が謙信に贈ったと言われる「上杉本洛中洛外図屏風」が展示されていて、国宝に指定されている。
[終着]計3ヶ所の史跡

せっかく米沢へ来たのであれば何が何でも・・・に使う画像 せっかく米沢へ来たのであれば何が何でも「米沢グルメ」を食していただきたい。一般的には米沢牛が有名であるが、実はラーメンの激戦地でもあるのだ。
出汁は野菜や鶏ガラや煮干しなどを使う店が多く、細い縮れ麺とあっさりとした醤油味のスープが特徴的で中華そばを原型にして作られているようだ。
米沢市内だけでも100件を超えるラーメン店があるため、全てを紹介することはできないが、一部ご紹介させていただきたいと思う。

【米沢ラーメン】※米沢市周辺
【米沢ラーメン】※米沢市周辺
■東部食堂■熊文■ひらま■長浜食堂■上花林■川西食堂■さつき食堂■喜久家■お堀端さっぽろ■美喜■かまた食堂■滝川■まつかわや

長尾景虎を追って越後へ[新潟県]

長尾景虎を追って越後へ[新潟県] 1530年1月21日、春日山城に「虎千代」が生まれる。この子こそ後に越後の虎と恐れられた男「上杉謙信」である。
謙信は、7歳まで春日山城で育つとその後、林泉寺の天室光育(住職)に預けられ学問や書道などの教育を受ける。14際の時に名を虎千代から影虎へと改名する。(1543年8月15日の元服)時を同じくして兄の晴景に代わり越後中部の統制のため栃尾へと入る。また、初の出陣にして勝利を収めたのも14歳の時であった。
1548年に長尾の家督を相続すると、19歳にして越後の守護代となる。1552年に関東管領であった上杉憲政(義理の父)が北条氏康に敗れ、景虎を頼り越後へ逃げてくると1561年には上杉の家督を相続し「上杉政虎」と成る。その後に「上杉輝虎」と改名する。
この最中に起きた戦いが「川中島の合戦」である。生涯のライバルである武田信玄と激戦を繰り広げたことで有名だろう。5度に渡り争ったが勝敗が付かないまま戦は幕を下ろした。
その後、1570年に敵方であった北条氏と和解し、名を「上杉謙信」に改め出家した。それ以降も信長との争いや、関東大遠征を目論むが49歳の若さで病死するのであった。

[始点]
新潟[始点]
■春日山城跡(住所:新潟県上越市中屋敷他)
春日山城跡(住所:新潟県上越市中屋敷他)
↓1530年1月21日、虎千代(後の謙信)が誕生する。
■林泉寺(住所:新潟県上越市中門前1-1-1)
林泉寺(住所:新潟県上越市中門前1-1-1)
↓7歳より学問や教育を受けるため天室光育に預けられる。
■春日神社(住所:新潟県上越市春日18)
↓春日山城の名前に由来した神社である。
■春日山城史跡広場(住所:新潟県上越市大豆334)
春日山城史跡広場(住所:新潟県上越市大豆334)
↓1.2kmにも及ぶ監物堀や土塁が再現さている史跡展示公園。
■春日山神社(住所:新潟県上越市大豆1743)
↓上杉謙信を祭神に祀った神社である。遺品や資料が展示されている。
■栃尾城跡(住所:新潟県長岡市栃尾大野町)
↓14歳の時、兄の晴景に代わり入った城である。
■瑞麟寺跡(住所:新潟県長岡市栃尾宮沢地内)
瑞麟寺跡(住所:新潟県長岡市栃尾宮沢地内)
↓修行を重ね、義を重んじる人格を形成した場所とも言われている。
■秋葉公園(住所:新潟県長岡市谷内2丁目)
秋葉公園(住所:新潟県長岡市谷内2丁目)
↓謙信公銅像・秋葉神社で史跡を見物できる。
■常安寺(住所:新潟県長岡市谷内2丁目7-7)
↓瑞麟寺梵鐘が展示されている。
■謙信廟(住所:新潟県長岡市上の原町1丁目13)
↓[終着]計10ヶ所の史跡

新潟県といえば「上杉謙信」と代名詞されるほど・・・に使う画像 新潟県といえば「上杉謙信」と代名詞されるほど越後を象徴する戦国武将である。毎月8月には「謙信公祭」が行われており、夏の風物詩ともなっている。
鎧兜を身にまとい、槍や刀を持った武者たちが歩く出陣行列では、街道の至るところで声をあげ、奇抜なパフォーマンスが行われている。また、上杉、武田の両軍が駆け回り、川中島の戦いを再現している。臨場感に溢れ、迫力があると毎年多くの観客を魅了している一大イベントである。
開催日:2012年8月25日(土曜日) 〜2012年8月26日(日曜日)
主催者:謙信公祭協賛会(お問合せ先:025-526-5111 事務局まで)