【京都 上京偏】聚楽第と北野天満宮「茶くれん寺」


【京都 上京偏】聚楽第と北野天満宮「茶くれん寺」

聚楽第への転居

聚楽第への転居 豊臣秀吉といえば大坂城をイメージするが、京都「聚楽第」も忘れてはならないゆかりの史跡である。大坂から京都へと移住してきた時に住まいとしていた城である。
1586年2月に着工し翌年の9月に完成すると、大阪城から移住し聚楽第で政務を行った。
御土居と呼ばれる土塁(土を高く盛ったもの)と堀で城を囲むようにして築いた。五層の天守閣は邸宅というより城郭そのもので、至る所に金箔をほどこし、建物の軒先にも金箔の瓦が飾られた。史実によれば、聚楽第はひときわ華麗で目立ち、かつ侘びの精神も取りいれた桃山建築を代表する建造物であったことが記されている。
現代ではその様子を伺うことは出来ないが、上京区に聚楽第跡地を示す石碑が建っている。
1588年4月14日には後陽成天皇を聚楽第に招待し華々しくもてなすと、徳川家康や織田信雄ら有力大名に秀吉への忠誠を誓わせるのであった。

北野大茶会

北野大茶会 1585年に関白(役職として最高位)へと就任していた秀吉は、その権威を知らしめるために「北野天満宮」にて大規模な茶会を開催する。「北野大茶会」である。
諸大名、公家、京都や大坂の茶人などに北野で開く茶会に出席するよう記した朱印状(命令文書)を出し、1587年11月1日に華々しく催された。
北野天満宮の拝殿(12畳分)を3つに区切り、千利休、津田宗及、今井宗久という名人級の茶人3名を茶頭(茶道を極めた者)として迎え、秀吉も茶頭として来席者に茶を振舞ったという。黄金の茶室も披露され、出席者を大いに楽しませたという。
当初10日間の開催を予定していた茶会であったが翌日には中止になり、その後2度と開かれなかったという。中止の要因は定かではないが、肥後国人一揆が発生したという知らせを受けた秀吉が不快になったからだという通説が一般的とされている。
しかし実際には様々な説が囁かれており、真相は明確なものではない。

秀吉の刀狩り

秀吉の刀狩り ちょうどこの頃、兵農分離を目的とし、秀吉によって制定された法令が「刀狩令」である。
百姓が刀や弓、槍、鉄砲などの武器を持つことを固く禁じた。また、余計な武器を持って一揆を起こすなどして役人の言うことを聞かない者は厳しく罰せられた。
取り上げた武器は建設中だった方広寺の大仏の釘や、木材と木材をつなぎ合わせる鎹(かすがい)として再利用されていた。秀吉が発令に伴い残した言葉は以下である。
「百姓は農具だけを持って農業に励めば子孫代々、無事に暮らせる。百姓のことを想って武器を取り上げるのだ。ありがたく思って農業に励め」
これによって、一揆(団結して争う)の防止であったと記されている。秀吉は刀狩と並行して、武力による紛争の解決を禁止した「喧嘩停止令」も全国各地に下した。
それまでの日本では多くの一般民衆が武器を所持しており、特に成人男性においては刀の所持は一般的であった。隣近所の些細なトラブルでさえ暴力によって解決される有様であった。

浄土院

浄土院 この寺の三門辺りにある石碑には「豊公遺跡 湯たくさん茶くれん寺」という文字が刻まれている。要するに「湯たくさん茶くれん寺」とは、この寺の名前である。
これは1587年11月1日に催された北野大茶会に由来している。
下調べのため何度か北野天満宮に足を運んでいた秀吉は、いつも北野天満宮と聚楽第を往復していた。その道の途中にある浄土院に名水があることを知り、この寺に立ち寄って茶を飲んだ。
坊さんは天下の茶人である秀吉に茶を差し出すのは気が引けて白湯(湯を温く冷ましたもの)を差し出した。秀吉は「白湯ではなく茶を出してくれ」と言ったが、坊さんは再び白湯を差し出したという。
そこで秀吉は「湯はたくさんくれるが茶はくれん寺だから、湯たくさん茶くれん寺にするがよい」と坊主に告げたことから、この寺の別名が「湯たくさん茶くれん寺」になったとされている。

■聚楽第跡
住所:京都市上京区中立売通浄福寺東
お問合せ先:075-222-4130(観光局まで)
[見どころ]聚楽第跡を示す石碑

北野天満宮 北野天満宮
住所:京都市上京区馬喰町
お問合せ先:075-461-0005 (社務室まで)
[見どころ]北野大茶湯之址碑・太閤井戸・御土居・御土居の堀に架かる鶯橋

■浄土院
住所:京都市上京区南上善寺町179
お問合せ先:075-461-0701(案内係まで)
[見どころ]湯たくさん茶くれん寺を示す石碑

仙洞御所 仙洞御所
住所:京都市上京区京都御苑内
お問合せ先:075-211-1215(案内係まで)
[見どころ]秀吉の最晩年に京都御所内に城が建てられた。その場所が仙洞御所の敷地である。秀吉が息子の秀頼の将来を心配して建てたとされる城で、あまり知られてはいない。

報恩寺 報恩寺
住所:京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579
お問合せ先:075-414-1550(案内係まで)
[見どころ]聚楽第に持ち帰った絵の中の虎が、夜中に激しく鳴いたため眠れなかったという言い伝えがある「鳴虎図」が保管されている寺。

■大徳寺
住所:京都市北区紫野大徳寺町53
お問合せ先:075-491-0019(案内係まで)
[見どころ]勅使門・三門・法堂

出世稲荷神社 出世稲荷神社
住所:京都市左京区大原来迎院町148
お問合せ先:075-744-4070(案内係まで)
[見どころ]秀吉公の出世にあやかって出世開運を願う人にご利益のある神社。

満足稲荷神社
住所:京都市左京区東大路仁王門下る東門前町527-1
お問合せ先:075-771-3035(案内係まで)
[見どころ]社名の満足の二字は秀吉が祭神の加護に「満足」したことから命名された。